煮詰まるなど、誤用の意味が広がっている言葉をどう使う?
前回の記事で
煮詰まるの本来の使い方と、
行き詰まるの意味で使うのは誤用だった、
こういったことについて述べました。
煮詰まるの誤用について、本来の意味と、行き詰まるとの違いは?
でまあ、議論なんかが結論にたどり着けそうなことを
「議論が煮詰まってきた」
これが本来の使い方で、
行き詰まって先に進めないことを
「煮詰まってしまって結論が出ない」
これが誤用だということなんですが、
でも、こちらの使い方もしたことありませんか?
あるいは周囲にこういった人がいるかもしれません。
自分ひとりが間違えていたのなら
ちゃんとした使い方をすればよいだけなのですが、
問題はすでに誤用が一般化しつつあることですね。
どうしたらいいんでしょう?
ややこしければ使わない?
最もシンプルかつ簡単で安全安心は方法は
そういった言葉をはじめから使わないというもの。
「煮詰まる」なんて言葉を使わないと困る局面は
普通はないはずです。
「会議もまとまってきたことですし…」
もしくは
「会議も行き詰まってきましたので…」
で通じますし間違いがなくていいじゃないか、
という考え方ですね。
特にあまり良く知らない相手には
どのように受け取られるか分かりませんので
誤用と思われそうな言葉は使わないのが一番安全です。
ただいささか無難すぎるといえばそうですし、
「この案をもうちょっと煮詰めて…」
なんて言い方をしたい時もあるじゃないですか。
反対に
「アイデアが煮詰まってどうしようもない!」
とか。
ではこういった言葉を使いこなすためには
どういった点が大事なのでしょうか。
スポンサーリンク
相手次第
何が悲しいって
しっかり調べてキチンとした日本語を使ったのに
他人に笑われることほど馬鹿らしいことはありません。
茶道はもともと「ちゃどう」と読むそうですが
これで笑われていた人もいます。気の毒。
相手が友達だったら
「これが本来の使い方!」と主張できますが、
上司や先輩だとそうもいきませんからね。
なんともモヤモヤする話です。
しかし言葉というものは
それを受け取る相手がいて始めて成り立つもの。
どのような使い方であれ、
「これが正しい!!」
みたいな感じで使い過ぎると反発を招いたり、
意味が通じにくかったりします。
慣用表現はさりげなく上品に使うと格好いいですが、
あまりわざとらしく使いすぎると嫌味になるものです。
「煮詰まる」は
ある程度の年齢以上の人は「結論に近づく」
そうじゃない若い人は「行き詰まる」
の意味で使っている場合が多いので
相手に合わせて柔軟に使っていくのがいいでしょう。
もちろん
「行き詰まるの意味で使うのは誤用だ」
というので使いたくなければ
無理に合わせて使う必要はないですが
最近はこの使い方も広辞苑に載ったりと
「ら抜き言葉」のように市民権を得ているようなので
少なくとも他の人が使うことに対しては
寛容になったほうよさそうですね。
スポンサーリンク
タグ:言葉