「古池や蛙飛び込む水の音」ってどんな意味で,解釈の仕方は

俳句をまったく知らない人でも
これは聞いたことあるだろう、

古池や蛙飛び込む水の音

俳句って、一見すると、
なんだかよく意味が分からないものが多いですが、
これは少なくとも状況はすぐに想像できます。

なんせ蛙が池に飛び込んだだけですからね。


でも私はこの句が好きで、
俳句の意味なんて分からなくても
情景を好き勝手に思い浮かべたりしていました。


それだけでもよかったのですが、
この短い言葉の解釈について調べると
また面白い発見があったので

述べていくことにします。


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まず最初に


古池や蛙飛び込む水の音

これは言葉自体は分かりやすい反面、
「いったい何の意味がある句なの?
蛙が飛び込んだのをなんでいちいち俳句にしたの?」


という疑問があるかもしれません。


しかし、この句の解釈について考えるまえに
まずは情景をイメージしてみるといいでしょう。


それで

古池や蛙飛び込む水の音

この句を読んで
大都会のにぎやかな街なとを想像する人は
まずいないでしょう。
どう考えても静かな田舎や、山の中などですね。


私なんかどこか遠くの野中の一軒家を勝手に想像して、

「…………ぽちゃ」
「……うむ」

みたいな、静かな情景を頭の中で作っていました。
なんだか田舎町に旅行にでかけたような気分になります。

まあ、細かい部分は違えど、
「古池や蛙飛び込む水の音」と聞くと、こうやって自分の情景を
思い浮かべる人は多いと思います。


観賞文を書く場合などでも、
まずは自分で浮かんだ情景を大事にすると
この句の解釈も理解しやすくなります。

では、具体的にこの句の意味について
述べていきたいと思います。


季語と、この句に込められた意味について


この俳句の季語は「蛙」で、季節は春です。
カエルは春に元気よく飛び回りますからね。

ただ、この句が「蛙」について詠んだものかというと
そうでもないです。
では「古池」についてかというと、
それもちょっと違うでしょう。

じゃどんな意味があるかと言うと、先ほど少し述べたような
「静かな情景」「静けさ」といったものです。


つまり、
「カエルの水に飛び込む音が聞こえるくらい静かだ」
こういう意味が込められた句と解釈するといいでしょう。


ポイントとしては、

古池や蛙飛び込む水の音

この中には「静かさ」を表す言葉は
直接にはないとうことです。
言葉だけなら「水の音」と言っていますからね。

しかし直接、「静かだ」と言われるよりも
句を読んで情景を想像し、その景色から
「静かだ」
と自分で感じたほうが、より印象に残ります。


この俳句が、
これほどまでによく知られるようになったのは
このように、意味とか解釈を考えるまえに
直感的にイメージが浮かべやすいというのが
理由のひとつだと思います。

ようは分かりやすいってことですね。
それでいて奥が深い。


小説もそうですが、文字を読んだ場合、
そこから浮かび上がる自分の景色が大事です。


そして、そういったイメージを想像しやすいものが
優れた句だと思います。

全体の意味、解釈としてはこのようなものです。
次に、少し細かいところを考えていきます。


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古池「や」なのは「切れ字」だから


古池や蛙飛び込む水の音

もはや俳句の定番中の定番なので
そんなもの、と思ってしまうのですが、
よく考えると、今の日本語だと
そんな言い方しないですよね。


「古池に」というのが本来の言い方です。


まあ、難しい俳句の世界ですから

「どうせ俳句特有の古い言い回しかなんかだろう。
かっこよろしいですなあ!」

と、解釈の仕方も考えずに納得してしましたが
これは「切れ字」というもので、
ちゃんと意味があります。



どういうことかというと

古池に蛙飛び込む水の音

だと、一息で読めすぎてしまうというか、
サラッと読めすぎて「あ、そう。だから?」
となりやすんですね。


一気に読んでしまい、
印象に残るのは最後の「水の音」だけになり、
「蛙の音がした」ただそれだけの意味になってしまいます。


ところが、ここで「古池や」とするとこで
読むときに少し引っかかるというか、
この「や」の部分で一呼吸おいてから
次の「蛙飛び込む…」を読むようになるんですね。


感じとしては
古池や。蛙飛び込む水の音
みたいに「。」を入れたのと近くなります。


もちろんほんのちょっとの違いなんですけど、
人間は、ちょっとの間にいろいろな想像をするものだから、
これだけでも古池の様子を
しっかりイメージできるようになるんですね。



つまり

「古池や~」

ああ、古い池があるのね、
古いんだから、昔の家の庭とかにあるのかな。
近くには木もあって、庭石なんかもあるのだろう。

「蛙飛び込む水の音」

お、蛙が飛び込んだ、水の音が聞こえる、
池の水面に輪っかが広がって、
やがて消えたあと、ふたたび何も聞こえなくなるった。
静かだなあ…。


という具合に、わずか17字を読む間に
時間がゆっくり流れるように、「古池」「蛙」と
順に思い浮かべることができるようになります。



こういったのが切れ字の効果で、
「や」の他には「かな」「けり」などが使われます。


蛙の種類と数について


私自身は、この17文字からイメージ出来るものが
一番大事と考えていて
あまり細かいところまで突っ込みすぎるのも
なんだか野暮なのかもしれません。


しかしそれでも気になるのが

古池や蛙飛び込む水の音
この蛙は何ガエル? 

というもの。
実際に松尾芭蕉が見た種類ということですね。
これはツチガエルというのが有力な説です。


理由は松尾芭蕉が、
この句を詠んだ地域に生息している蛙は
ツチガエルとダルマガエルだったというものです。

ダルマガエルは少々おおぶりで、この句には合いにくく、
また生息数も少ないので
ツチガエルだったのではないかと言われています。


そして、もうひとつ

蛙は何匹飛び込んだのか?

という疑問。


これはどうでもいいといえばどうでもいいのですが
気になるといえば気になります。

もちろん実際にその場に何匹いたのか正確な数は
現在に伝えられていないばかりか
当の松尾芭蕉本人ですら
いちいち数えていたりはしないでしょう。

ただ、あくまで大まかに、とうことでしたら
これはやはり1匹~数匹程度と考えられます。


何十匹とかがバチャバチャと飛び込んでいると
やはりちょっと「古池や蛙飛び込む水の音」
とはイメージが違ってきますからね。

日本人はこの句を読むと
1匹の蛙を連想する人が多いようです。



私は数匹の蛙が
「ぽちょ…ぽちょ……」
といった感じで順に飛び込む光景を想像していました。


しかし、これには意外な説があるのです。


蛙なんていなかった?


実は、実際には蛙なんていなくて
松尾芭蕉はそういった景色を想像しながら
「古池や蛙飛び込む水の音」を詠んだという説があります。


なぜかというと蛙は池に飛び込むとき、
ほとんど音を立てないため
どんなに静かでも聞こえたりはしない、

というのが理由です。

小さな蛙の飛び込む音が聞こえるくらい静かだという、
一種の比喩表現だということになるのですね。


さらに言えば
「古池」もなかったという説すらあります。

これは、松尾芭蕉は
「蛙飛び込む水の音」の部分だけ先に思いつき
弟子は「山吹や蛙飛び込む水の音」と提案したが
最終的には「古池や蛙飛び込む水の音」となった
という話があるからです。

つまり、
「古池や」は、あとから考えてつけられたので
この句を考えたその場に池なんてなかったというものです。



ただし、松尾芭蕉が住んでいた場所の
庭の池がモデルではないかとう説もあるので
これについては定かではありません。


いずれにしても
松尾芭蕉が実際にどの景色を見ていたかは
解釈をするうえで参考にはなりますが
俳句を味わうという意味では

古池や蛙飛び込む水の音

この言葉から自分自身で連想される景色を
大事にしたほうが楽しいと思います。



その上で、こういった意味についてや
解釈の仕方を考えていくと
より面白く感じられるようになるでしょう。


「五月雨をあつめて早し最上川」についてはこちら

この句も面白いですね。
涼しげな夏の句です。

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